リトリートヴィラ、スタッフOです。
ヴィラ周辺の魅力を知るために、天気のいい時間を狙ってはあちこち動いていまして、特に最近はグスクに興味を持っていたのですが、グスクの周辺には「〇〇樋川(ひーじゃー)」や「〇〇川(カー)」といった名前の川をよく見かけました。
沖縄県と湧水
生活圏に見る川なんて、本州であっても大して珍しいものでもないのですが、沖縄の場合は、見かける川のほとんど(すべて?)の読みかたが「〇〇樋川(ひーじゃー)」や「〇〇川(カー)」なので印象的でした。
調べてみると、全都道府県においても4番目に湧水が多いのだそう。
環境省の調べでは沖縄県全体(離島含む)で、約1200か所もの湧水があるらしいです。
そして沖縄県以上に湧水の数が多いのが、愛媛県(約3050か所)、千葉県(約2150か所)、富山県(約1500か所)なんですが、どの県も面積で見たら沖縄県の倍以上あるんですよね。なので、県土面積に対する湧水の数の割合で言えば、1位の富山県に匹敵しています。
(うーん、小難しい話は苦手です。笑)
沖縄に湧水が多い理由も、単純明快。
沖縄と言えば、海の珊瑚が堆積してできた琉球石灰岩。この琉球石灰が長い年月をかけて隆起したことによって出来上がった土壌ゆえ、水を通しやすいそうです。
面白いもので、グスクなどの城跡を見て歩いていると、なんとなく想像できるんですよね。。。
「湧水のあるところにグスクが建てられたのかな……?」
とか、
「隙間の多い琉球石灰岩だから水をよく通すのかな……?」
とか。
自分との対話だけでは飽き足らず、水や岩とも対話していたのかもしれません。自然とつながる意味では、これぞリトリート!……ですね。(一歩間違えれば病んでいるとも思われかねないですが。笑)
先人のくらしに思いをはせてみたり
沖縄で暮らしていると色々見えてくるのですが、まず沖縄には大きな川(河川)が見当たりません。今でこそ水道が整備されているので、特にどうということはないでしょう。ただ、水道がなかったころの時代は、大きな川がないからこそ、各所に点在する湧水が、人々にとって大きな役割を果たしていたことは容易に想像できます。
グスクのそばに湧水をよく見かけるのもそういった理由だそうです。人々が水を求めた結果、湧水のある場所が拠点となり、グスクが建っていったと考えて良さそうです。
調べたらすごくわかりやすいページを発見しました。
ちょうど琉球史で「グスク時代」(12~15世紀頃)と呼ばれている時代の始まりです。この頃になると、人々は石灰岩の洞窟や谷川などに水源を求めて歩きました。また泉や川から水を引く工夫や、井戸を掘ることが始まり、このような谷川、湧水、井戸などは後に「村ガー」と呼ばれるようになりました。
⇒沖縄県企業局『沖縄の水道の歴史』
南城市だけでも各所に樋川や川といった湧水があります。
たとえば、玉城船越地区にある船越大川(フナクシウッカー)の案内板を見ると……、
全体的に島石で作られ、上ウッカーには方が異なる樋が左右にあって東側が男樋、西側が女樋と言われ、女性の浴場として利用されていた。
前方に下ウッカーがあり昭和30年頃までは男性と子供たちの水浴びや馬アミシー、フナやウナギの釣り場として利用されていた。
船越大川(フナクシウッカー)案内板
……とあるように、人々の生活に密接した水源だったことがうかがえます。
ほかにも、知念志喜屋地区にあるカンチャ大川(カンチャウッカー)は、
志喜屋村の北辺に、他を潤す井戸があった。この井戸は田への水を供給するだけでなく、人民の生活用水としても利用されていた。あるとき、この井戸が損壊してしまい、他の水が涸れ、人民の生活用水も得ることが出来なくなってしまった。
そこで、一八六一年、……(略)
カンチャ大川(カンチャウッカー)案内板
……と、これも人々が生活用水を得るための重要な場所であったことがわかります。かつて四大文明が川から発展を遂げたように、沖縄に住む人々もまた、川から発展していった……なんて話は飛躍しすぎでしょうか。笑
とにもかくにも、湧水というものが生活に欠かせない資源として大切にされてきた過去を、いたるところで実感できてしまいます。
ちなみに、本州(横浜市)において初めて水道が開通したのが明治20年のことだそうですが、沖縄においてはそこからさらに45年後の昭和8年まで開通を待ったそうです。そうして開通した水道も戦時下に破壊され、再び県内各地に水道が整備されたのは、琉球政府が設立された昭和27年以降……。
(参照:⇒沖縄県企業局『沖縄の水道の歴史』)
まとめ
こうした背景まで想像すると、本当に水って大切でありがたいものですね。だからこそ、各所に点在する湧水が、役割を終えた今も残されていることに、深い意味を感じさせられます。
リトリートを掲げていると、どうしても自然の綺麗な部分、気持ちのいい部分に目が行きがちですが、実際に湧水をめぐり、歴史やくらしに思いを馳せると、また色々と見えてくるものがありました。
ちょっと泥くさいリトリートかも知れませんが、これも自然とつながる手段のひとつだと思います。